ご挨拶

2023・12・29:前回更新からあっと言う間に5年が経過して仕舞いました。2019年のキリシタン巡礼旅は、ニュ-ウコロナの為、当分の間、延期にいたしましたが!(フェリーや、旅程迄は準備したのでしたが!)そしてその間にも大勢の先輩方(業界及びスポーツ・学校関係者)を亡くした事でした。父も97歳まで生きたので、先に亡くした後輩の事で寂しがっていた記憶が蘇ります。喜寿を迎えた今日、特に年末の今つくづく実感されています。しかし小学校4年生を頭に3人の孫たちの眼を見張る成長には頼もしくも有りビックリです。古本屋の将来は総てに人口増加の復活に掛かっています。早急な改善が望まれますが、どうでしょうか!過去に父が経営した店の急成長は偏に社員の年齢層の若さの成果でした。20~40才の社員が8・9名居りましたので広範囲の分野に広げるのが出来たのです。この間、父が新規分野に口を挟まなっか点が特筆されます。在庫の多さでは決して有りませんでした。全体では可也の冊数に成りましたが、個別には依然貧弱な冊数でした。又、時期にも恵まれました。(尤も、古本屋全体の事でしたが。)間口を広げれば専門性が薄まり、狭めれば逆の事が起こるのですが、当時の社員の奮闘の成果でしょう。今は完全に逆転しておりますが! もうひと踏ん張り?
2024年01月07日 三書樓書舗 小沼秋成

店名の栞

三書樓書舗
明治中期創業の巌松堂書店【波多野 重太郎氏】の兄弟店として、明治45年迄の数年間、 弟重五郎氏が経営された店名が【三書樓】で有り、私が十一歳の明治45年、最初に 丁稚として入ったのがこの【三書樓】であった大正時代より巌松堂書店出版部と成った、 束の間の店名である。
後に私は巌松堂書店通信販売部創設。
三書樓では出版物も(大場刑法各論)等法学書を中心に約四拾数点を刊行した事であった。 この頃の書店名には自由樓・煙霞樓・五車樓・三書樓等、樓の付く店名が多くあったようです。
【五車樓】には(自由党史 上・下巻)等二十数点の刊行物があった。
 
春明書荘
大正時代初期に設立された巌松堂書店京城支店に私は足掛け3年居ったが これに続き昭和10年代に満州建国大学設立に際し瀧川政次郎先生等の ご要請により新規開店した巌松堂書 店満州新京支店のレッテル(蔵書票) に用いられたのがこの【春明書荘】である。自由が丘西村書店の巌父に 続き都立書房・博文堂書店佐野氏ご兄弟の巌父が支店長として活躍された。
大正3年、私のソウル行きは東京駅が原っぱで無かったので 品川駅から 出発し、大正5年は新しく出来上がった現在の東京 駅に帰着した。
波多野 重太郎翁は晩年、湘南の地で【幽学荘舎】を営なまれた。 巌松堂書店の別宅として。
畏友、戦死された産業書の東雲荘 中島氏、黎明書院 内藤氏、医学書の柴善書店 柴屋善吉氏並 びに本郷各書店に感謝する。
(株)文生書院 創業者父 故小沼 福松の回想より
(平成9年9 月天寿九十七歳)