ご挨拶
2018・12・31:本年も変わらずご愛顧頂きまして有難う御座いました。既に今年こそわと、かれこれ五十年。未だに失敗の連続です。しかしながら失敗を恐れない精神は父譲りの懲りない性分のせいでしょうか? 失敗を恐れたら、何も出来ません。原因を調べフォローアップする事が大切でしょう。どうやらフォローアップする事は五十年が経った私の性分に合っている様です。常に成功している様な人は魅力が無く尊敬できません。来年も四国遍路(八十八箇所)の様に一歩ずつ、一歩ずつ、友人と長崎の隠れキリシタンの旅に向かう所存です。嘗て、車で老いた両親と家族・恐山(青森県)へ行った時の様に!人智を超えた世界は自分の眼で確かめないと、本当の事は解りません。私は現在、古希〜喜寿への途中です.今年亡くなった愛犬(そら)の霊も慰めに行き度いと思います。取敢えず五年後を目指して頑張りますので。来年も宜しくお願い申し上げます。1月6日迄、休みを戴きます。
2018年12月31日
三書樓書舗 小沼秋成
店名の栞
三書樓書舗
明治中期創業の巌松堂書店【波多野 重太郎氏】の兄弟店として、明治45年迄の数年間、
弟重五郎氏が経営された店名が【三書樓】で有り、私が十一歳の明治45年、最初に
丁稚として入ったのがこの【三書樓】であった大正時代より巌松堂書店出版部と成った、
束の間の店名である。
後に私は巌松堂書店通信販売部創設。
三書樓では出版物も(大場刑法各論)等法学書を中心に約四拾数点を刊行した事であった。 この頃の書店名には自由樓・煙霞樓・五車樓・三書樓等、樓の付く店名が多くあったようです。
【五車樓】には(自由党史 上・下巻)等二十数点の刊行物があった。
後に私は巌松堂書店通信販売部創設。
三書樓では出版物も(大場刑法各論)等法学書を中心に約四拾数点を刊行した事であった。 この頃の書店名には自由樓・煙霞樓・五車樓・三書樓等、樓の付く店名が多くあったようです。
【五車樓】には(自由党史 上・下巻)等二十数点の刊行物があった。

春明書荘
大正時代初期に設立された巌松堂書店京城支店に私は足掛け3年居ったが
これに続き昭和10年代に満州建国大学設立に際し瀧川政次郎先生等の
ご要請により新規開店した巌松堂書 店満州新京支店のレッテル(蔵書票)
に用いられたのがこの【春明書荘】である。自由が丘西村書店の巌父に
続き都立書房・博文堂書店佐野氏ご兄弟の巌父が支店長として活躍された。
大正3年、私のソウル行きは東京駅が原っぱで無かったので 品川駅から 出発し、大正5年は新しく出来上がった現在の東京 駅に帰着した。
波多野 重太郎翁は晩年、湘南の地で【幽学荘舎】を営なまれた。 巌松堂書店の別宅として。
畏友、戦死された産業書の東雲荘 中島氏、黎明書院 内藤氏、医学書の柴善書店 柴屋善吉氏並 びに本郷各書店に感謝する。
(株)文生書院 創業者父 故小沼 福松の回想より
(平成9年9 月天寿九十七歳)
大正3年、私のソウル行きは東京駅が原っぱで無かったので 品川駅から 出発し、大正5年は新しく出来上がった現在の東京 駅に帰着した。
波多野 重太郎翁は晩年、湘南の地で【幽学荘舎】を営なまれた。 巌松堂書店の別宅として。
畏友、戦死された産業書の東雲荘 中島氏、黎明書院 内藤氏、医学書の柴善書店 柴屋善吉氏並 びに本郷各書店に感謝する。
(株)文生書院 創業者父 故小沼 福松の回想より
(平成9年9 月天寿九十七歳)
