ご挨拶
2025-10-27
冬の寒さが、益々厳しい頃となって来ました。
道のパンジーも、寒いながら綺麗な花を咲かせています。
今年は、次女、孫娘2人が巳年ということで、良い年になればいいなと思います。最近は、税や物価高と厳しい時代ですが、未来世代に僅かでも貢献出来るよう資料等をupして行けたらと思います。
今月、10月に遂に株価が¥50000を超えました。バブル時以来の最高値だそうです。ほんの一部の富裕層には万々歳の様ですが、刹那的の様にも感じられます。一般の市民には物価高だけで、無用の長物の様に思われますが如何でしょうか!同じ情報だけが拡散され、そのうちに、飽きられる時が来るのではないでしょうか? 今や適度という言葉が死語の様に成って仕舞ったのでしょうか? AI技術の進歩?により、上下・左右・前後の違いが特に際立ってきたと感じられます。昭和生まれの巳には心配です。これは杞憂でしょうか?
父の家は子沢山の貧しさで、尋常小学校は中退で、(当時神田神保町で有数の奉公人二百人有余を擁した某書店)丁稚奉公に出た事でした(明治45年)、わが父のモット-は、古いですが、(継続は力なり)の一語に尽きる様です。
現在から観ると明治・大正・昭和(戦前・戦後)・平成を生抜いた事です。
三書樓書舗 小沼秋成
店名の栞
三書樓書舗
明治中期創業の巌松堂書店【波多野 重太郎氏】の兄弟店として、明治45年迄の数年間、 弟重五郎氏が経営された店名が【三書樓】で有り、私が十一歳の明治45年、最初に 丁稚として入ったのがこの【三書樓】であった大正時代より巌松堂書店出版部と成った、 束の間の店名である。
後に私は巌松堂書店通信販売部創設。 三書樓では出版物も(大場刑法各論)等法学書を中心に約四拾数点を刊行した事であった。 この頃の書店名には自由樓・煙霞樓・五車樓・三書樓等、樓の付く店名が多くあったようです。

春明書荘
大正時代初期に設立された巌松堂書店京城支店に私は足掛け3年居ったが これに続き昭和10年代に満州建国大学設立に際し瀧川政次郎先生等の ご要請により新規開店した巌松堂書店満州新京支店のレッテル(蔵書票) に用いられたのがこの【春明書荘】である。

全国古書籍商業協同組合理事長時代の父の面影

